セックスレスの実態などについて、前回、前々回の記事で分析してきました。
そして今回は、日本特有の現象として、
という点に関して考察してみたいと思います。
なぜ日本では、若い夫婦でセックスレスが増えているのか?
引き続き、社会学者・宮台真司さんの見解を参考にしてみたいと思います。
若い世代が性から退却しています。
学生のカップルなどを見ても、「2カ月に一度やるかやらないかです」みたいなのが、キャンパスにあふれています。
僕が大学生の頃はどうだったでしょう。大学3年のときに数えたんです。そうしたら、年に400回やってました(笑)
ところが、昨今の学生カップルはテンションが低いんです。一月に一度を割り込むのはザラです。
まず、若い世代が全体的にセックスレスになっているという事のようですね。
結婚する前の付き合っているカップルの段階でセックスレスになっているようであれば、結婚してセックスレスになるのは当たり前でしょうね。
宮台さんみたいに、年に400回もセックスしている人は少数派でしょうが(笑)、20歳前後の年齢のカップルで2か月に1回セックスするかどうかというのは、やっぱり少なすぎますよね。
40代半ばの僕が学生当時、年がら年中セックスのことばっかり考えてましたし(笑)、周りにもそういう連中が多かったですよ。
そう考えると、ここ10~20年くらいの間に、若者の「性的淡白化」は急激に進んでいったんでしょうね。
宮台さんの分析の続きを見ていきましょう。
理由の一つは、カップルが「雛壇にあげられる」こと。
昔は、いろんな小説や漫画に描かれてきたように、サークルや語学クラスで、寝取ったり、寝取られたりがよくありました。最近ではこれがありません。
カップルとして公認されると誰もさわらなくなるので、カップルであることを前提とした互いの友人関係のホメオスタシス(恒常性維持)の観点からも、たとえテンションが低くてもカップルである状態を保とうとする。
だから、恋愛していても、同性の友人関係が優位となります。
女子で言えば、性愛方面にハマりすぎていると、同性の友人たちの間で「ビッチ」呼ばわりされます。
だから、◯△プレイみたいな情報や、歳の差恋愛の情報が、シェアされなくなりました。
宮台さんは現在60歳くらいなので、宮台さんが学生の頃というのは40年ほど前ということになりますよね。
40年前は、「寝取り」「寝取られ」のセックスがそこかしこで頻繁に発生していたんでしょうか。
その状況にはちょっと興奮してしまいますよね(笑)
僕が学生の頃は今から25年前くらいになるわけですが、「寝取り」「寝取られ」のような状況は、そんなにはなかったと思います。
ということは、年々、「性的な刺激」や「性的な過激さ」を求める傾向が減少していっているのかもしれませんね。
理由の第二は、「草食化」と呼ばれる傾向。
「自分には性欲がない」と自己申告するタイプの男子たちを言います。
よく覚えているんですけど、1990年に「性欲がない」という男子学生たちがキャンパスに陸続と出てきたんですね。
色々考えられる「草食化」の理由をあえて社会学的に推定するとしますと、コミュニケーションの失敗を事前に取り除く「リスク回避」が考えられます。
「リスク回避」の背景に、コミュニケーションが「肝胆相照らすもの」から「場つなぎ的なもの」にシフトしてきた、という経緯があります。
その結果、コミュニケーションの失敗が、かつてよりも過大に受け止められるようになったんですね。
そして「草食化」の、もう一つの社会学的背景が、「めまいの回避」です。
めまいは、僕のワークショップでは「変性意識状態」と呼んでいて、性愛のキーだと告げています。
若い人たちは、これを結構嫌がるんですよ。忘我の状態を避けたがる、ということです。
セックスの醍醐味って何だと思いますか?
めまいです。我を忘れること。
僕の言葉で言えば〈ここ〉から〈ここではないどこか〉に出かけること。
そう。人は、現実を忘れるために、セックスをするんです。
ところが、昨今の若い人たちは「リア充」とか言うでしょう。
リアルというクソから逃避するために、セックスするに決まってるだろ。
最近よく言われるようになった若者の「草食化」という現象。
それは今から約30年も前の1990年あたりから、その兆しが見えていたということなんですね。
そして「草食化」の原因の分析も、とても深いですよね。
かなり簡単に単純にまとめると、人間関係において、「恥ずかしい思いをしたくない」「恥をかきたくない」という若い人がかなり増えたということなんでしょう。
そんな思いをするくらいなら、一人でいたり、男同士で戯れるほうがいたほうがまし、ということで、性愛から退却してしまっている、ということなんでしょうね。
そして人間関係でそのように防御的というのか、自分の真の姿を晒すのに抵抗がある、という姿勢は、セックスの場面においてはより顕在化するわけです。
「忘我の状態を避けたがる若者が多い」という点にもそれが表れていますよね。
宮台さんが語っている「セックスの醍醐味」について、深く共感できる若者って少ないのかもしれません。
僕自身、若い頃、特にセックスの時に自分の素の姿を全て曝け出すということは、たぶん恥ずかしくてできませんでした。
それが年を経る毎にできるようになってきて、今では乳首やアナルを愛撫されたり舐められたりすると女の子のように大声で喘ぎまくり、全てを曝け出しまくっています(笑)
そのような状態になって、初めてセックスの本当の素晴らしさを知る事ができたと感じています。
お互いに溶け合うような濃密なセックス。
そのようなセックスを共有できたことで訪れる二人だけしか知ることのない濃密な世界。
そのようなセックスに到達することができれば、セックスレスなんて状態に我慢できるわけがないと思うんですけどね。
濃密なセックスに辿り着く手前で、淡白なセックスしか体験せず、セックスってこんなものなのかとセックスを過小評価している若者が多い気がしてなりませんね。
そしてそのようなお互いが恥部まで含めた全てを曝け出し合うようなセックスを経験することができれば、普段の人間関係においても、恥ずかしい思いをしたくない、恥をかきたくない、という思いを過度に感じることはなくなっていくように思います。
宮台さんはそのような深い部分まで伝えたくて、性愛についてずっと語り続けているような気がします。
という次第で、むしろ若い夫婦がセックスレス化しやすい状況にあることは、間違いないでしょう。
セックスレスでもかまわないのなら、勝手にすりゃいい。
でもそれは「めまい」と「ゆだね」から遠ざかること。
究極の「めまい」と「ゆだね」を引き寄せたければ、セックスという選択肢を手放さないほうがいい。
だったら夫婦のセックスレスをどうにかしたいって?
そう思うのなら、夫婦の時空間を無理にでも作って、夫婦中心主義を意識的に自分たち家族にインストールして下さい。
忙しい? そんなの理由にならないぜ。僕だって忙しいよ(笑)
そしてもう一つ若い人たちに。
意識的に作り上げたそうした時空間は「ツラい現実から逃避するためのホーム」です。
「めまい」と「ゆだね」に彩られたホーム。
それがあればこその絆。
セックスを回避してそれを作るのは本当に大変だよ。
最後の若い人たちへ向けたアドバイス。
本当に素晴らしいと感じました。
年400回セックスしてきて(笑)、セックスに関して酸いも甘いも理解している宮台さんだからこそできるアドバイスだと思います。
そうなんですよね、「セックスの本当の効果」を過小評価している人って若い人を中心に多いと感じます。
家庭というのは心から安心できて寛げる「ツラい現実から逃避するためのホーム」であるべきですよね。
そのような本物の安全基地を、「セックスを回避してそれを作るのは本当に大変」だという宮台さんの言葉はとても深いものだと感じます。
お互いが曝け出し合い、ゆだねあい、そしてそこから生じる深い「めまい」。
そのような体験を積み重ねていく事で、「ツラい現実から逃避するためのホーム」を初めて築くことができる。
宮台さんからすれば、そのような体験をしていない多くの若者夫婦は「疑似家族」であり、「家族ごっこ」をしているような薄っぺらい関係に見えるのではないでしょうか。
何かのきっかけで、セックスの奥深さに気づき、本物の絆をベースにした人間関係が沢山生まれるといいな、と宮台さんの記事を読みながら感じました。
夫婦の間でそのようなきっかけをなかなか見出せなくなっているのであれば、家庭外でのセックスを体験してみることで、夫婦のセックスに鮮度を取り戻し濃密さを回復させる。
不倫がダメだとか杓子定規な世間体に従うより、自分なりに色んな可能性を追究してみるほうが断然よいと僕は思いますね。
世界から見ると異様なほど高い日本のセックスレス比率。
そのような歪なセックスレス比率が少しでも下がることで、幸福度は間違いなく高まる、そんな気がします。