真面目な女の子よりも、セックスに積極的な、というかセックスの快楽に素直に喜びを感じるような奔放な女の子に人間的な魅力を感じます。
それはいったい何でだろう?
今まで漠然とそのように感じていたことを、言語化することができたので、それをまとめてみたいと思います。
社会学者・宮台真司さんと、AV監督・二村ヒトシさんの共著『どうすれば愛し合えるの 幸せな性愛のヒント』という本ほど「セックス」「男女関係」についての本質に迫っている本はないと思います。
少し引用してみたいと思います。
性交が与える体験が凄ければ自分は愛しているんだと思いがちで、自分が愛していると思い込めば性交が与える体験を盛りがちです。
単なる性欲に由来する二人オナニーだとの認識は自分を傷つけがちだからです。
性欲に由来する二人オナニーがいけないわけじゃない。互いの利害が一致する限りでOK。ただし勘違いはダメ。
好意は多くの場合「ヤリたい」という性欲に由来するけど、性欲に駆られちゃいけないという教育を真に受けて育った女はそれを「とても愛している」と粉飾します。
「セックス」「男女関係」について、エグるように本質を突いているように感じました。
「セックス」「性欲」にまつわる事について考える時、ラース・フォン・トリアー監督が映画『ニンフォマニアック』で主人公に言わせた言葉を僕はいつも思い出すんです。
まさに「性欲」というのは凄まじく強力な力で、人の無意識的な思考や行動にも圧倒的に影響を与えているわけですね。
この言葉は、特に真面目な人にとってそのまま受け入れるのが難しいことかもしれませんよね。
自分は、「性欲」なんて関係なく、ただその人の性格や人柄に惚れ込んだだけだ、と言いたい人は多いでしょう。
でも、その「好き」という感情が駆動するのは、「性欲」という人にとって圧倒的に大きな力が背景にあるから、という事実が歴然とあるわけです。
そしてそれはなかなか自覚できないのですよね。
性欲に駆られちゃいけないという教育を真に受けて育った真面目な女性ほど、「性欲」を無意識化に押し込め、「愛している」という感情を全面に押し出そうとします。
本質的な欲望を「粉飾」しているわけですね。
そして僕の経験上、そのような女性ほど、彼氏や結婚相手との出会いを「運命の出会いだった」と簡単に言う傾向があるように感じます(笑)
それも、ただ「普通の出会い」を、「運命の出会い」だと舞い上がって「粉飾」している可能性も高いわけです。
「性欲に由来する二人オナニー」であったとしても、それはそれとしてそのまま認めればいいと思うんですよね。
前に書いた記事で、32歳独身女性の声を紹介しました。
「男性とのセックスで、オーガズムを得るスキルがあり、きちんとオーガズムを得られるかどうかは非常に重要」だと語る32歳の独身女性。
オーガズムによって得られる肉体的な快楽は、精神的な快楽に勝る。オーガズムが得られれば、「身体の割り切り」だけではなく、「心の割り切り」が可能になるという。
「セックスでオーガズムを得られない女性が、(心の割り切りが十分にできないために)どろどろの不倫にハマりやすいのでは」と、その32歳独身女性は仮説を立てている。
「セックスでイクと、『内臓のエステ』に通ったような気持ちで、本当にただひたすらにスッキリする。しょうもないことでドロドロしているのが時間のムダに思えてくるんです(笑)」とも言う。
この32歳独身女性は、「性欲に由来する二人オナニー」のようなセックスであっても、それを愛だと「粉飾」することなく、「二人オナニー」であることを深く自覚していますよね。
粉飾することなく、それをそのまま享受し、最高の快楽を伴う「セックス=二人オナニー」を深く楽しんでいるわけです。
そのように一回一回のセックスを「粉飾」せずに、あるがままを見つめる事で、この32歳独身女性はいつかの段階で自分が心から納得する「本物の愛」を見つけられそうな気がします。
そして彼女のようなタイプは、結婚後に「想像していた男性と現実は違っていた」と後悔する確率が低いようにも思えます。
「セックス」というデリケートな領域であっても、目をそらしたり、粉飾せず、ちゃんと本当の実態を見つめられる人というのは、やっぱり魅力的なんだと思います。
そしてそのような女性とのセックスは、やっぱり物凄く良いものになる確率が高いと感じます。