セックスや不倫に対する価値観について、フランスと日本では大きな違いがあると言われます。
例えば日本の場合、不倫した芸能人や政治家をこれでもか!と徹底的に叩きますよね。
逆にフランスは、芸能人や政治家が不倫しようが、そんな事は個人の問題だとしてほとんど誰も気にもしません。
フランスのシラク元大統領に何人も愛人がいたという事実は、国民のほとんどが知っていたことです。
そのように「不倫」や「他人のセックス」に関して、真逆のような対応をする日本とフランス。
その違いは、どうやら幼少期からの各家庭におけるセックスに関するコミュニケーションに大きな要因があるようなんです。
『フランス人の性 なぜ「# MeToo」への反対が起きたのか』(著者:プラド夏樹)という本がそのあたりをとても分かりやすく解説してくれています。
幼少期における、親子のセックスについてのコミュニケーションが果たしてどのような違いを生むのか、じっくり見ていきたいと思います。
まず、日本(アジア諸国)とフランス(欧州諸国)では「家族観」が違います。
日本は「役割家族」、フランスは「愛情家族」という形で、家族に対する価値観はまさに対極にあるわけですね。
『フランス人の性 なぜ「# MeToo」への反対が起きたのか』という本を書いたプラド夏樹さんは、フランス人の男性と結婚してフランスで暮らしています。
実際にフランスで生活してみて、日本とフランスの様々な違いに驚く日々を送っているようなんですね。
フランスにおける親子の関係は、日本人にとっては本当に驚くべきことが多くあるようです。
興味深い事例が紹介されていたので、引用してみたいと思います。
フランスでは、子どもなしでバカンスをとったことがあるカップルは56%。
心理学者が「『ママやパパには二人だけで過ごす時間も必要』と真実を伝えることで、子どもにも自立心が生まれる」とコメントしている。
親は「パパとママ」であると同時に、セックスをする生身の男女でもあることを、幼少期から子どもに知らしめることで親子の間に線を引くのである。
日本と違い、フランスを含む欧米各国では、子供がまだ小さいうちから両親とは寝室が別になりますよね。
フランスの子供たちは、日本の子供たちよりも圧倒的に早い段階で、パパとママは「セックスをする生身の男女」だという事実を突きつけられるというわけなんですね。
日本社会に生きていると、両親が「セックスをする生身の男女」だという事実を幼い子供に突きつけるというのは、なかなか衝撃的ですよね(笑)
でも、フランスの子供たちは、それが当たり前のことだと受け止めるのでしょう。
その生々しい事実を子供に早い段階で突きつけることで、「親子の間に線を引く」ということのようです。
また、フランスのこのような習慣も紹介されていました。
フランスでは、通常、子供たちは親と一緒にお風呂に入らない。
私の夫は父親の裸を見たことは一度もなく、母親の下着姿や水着姿を見た記憶がかすかにあるという程度らしい。
日本の子供が学校でポロっと「お母さんとお風呂に入って」と言ったところ、友達が親に伝え、それから教師、校長の耳に入り、警察を巻き込んで「ペドフィリア(小児性愛)」の疑いをかけられ大騒ぎになったという話もある。
それぐらい「親とお風呂に入る」というのは「異常」なことなのである。
フランスの多くの子供が、「親の裸を見たことがない」という事実も、毎日のように一緒にお風呂に入る日本人にとっては考えられないほどの驚きの事実ですよね。
裸を見せ合うという究極のプライバシーは、「パパとママ」だけの特別なものなんですね。
アソコの毛が生えてきている小学校高学年の娘と今でも一緒にお風呂に入っている僕のような家庭は、フランス人にとっては「異常の極み」でしかないのでしょう(笑)
それほどまでに、両親の間だけに許されている「特別に親密なもの」があるという事がはっきりと示され、両親の関係が家族の中で優先されている社会であるわけです。
親が子供に裸を見せないというのも、ある意味で「親子の間に線を引く」行為の一つと言えるでしょうね。
性的な要素は、子供には晒すことなく、両親だけが晒し合うという「線引き」。
先ほどの、両親が「セックスをする生身の男女」だという事実を子供に突きつけることで「親子の間に線を引く」という事と合わせると、子供が両親の親密な関係には決して入り込めない「大きな断絶」があることが分かります。
そのような「線引き」があることで、子供にとって親という存在が、「絶対的で何でも抱擁してくれるような依存先」にはなりえないのではないでしょうか。
もちろん普通に甘えたりはするのでしょうが、完全に依存しきる存在ではなく、幼少期から無意識的に「自立」が要求されている。
「依存」と「自立」の割合が、日本とフランスの子供では全く違うように感じました。
その幼少期の体験が、後々、大きな差となって表れてくるわけですね。
「セクシャルな要素」というのは、人間の本質的な部分でもあるわけで、それを親子間でどこまで晒したり、隠したりするのかというのは、その子の価値観にとてつもなく大きな影響を与えるような気がします。
本から引用したエピソードは、フランスの子供たちが日本の子供たちとは全く違う家庭環境で育っていることがよく分かる話でしたよね。
幼少期からそのような環境、価値観の中で育つことで、日本人とは全く違った家族観・セックス観を持つようになることは必然と言えるでしょう。
一番近しい存在である両親が、毅然とした態度で、
といったメッセージを、直接的・間接的に伝え続けられた育った子供の価値観というのはいったいどのようなものになるのでしょう。
まず、自分が成長して恋人ができ、そしてセックスするようになった時、両親と同じような気持ちを抱く可能性が高いでしょう。
愛し合い、セックスすることが、どこか誇らしいとでもいうような気持ち。
セックスはどこか恥ずかしいものだという日本人的な感覚は、あまり感じられない。
そして今では逆に、両親であっても、愛し合いセックスする自分達のことをとやかく言う権利はない。
愛し合う二人の関係というのは尊いものであり、他人からとやかく言われるものではない。
だから他人のセックスについて口をはさむこともしない。
例えそれが不倫関係でのセックスだとしても。
フランスの家庭というのは、そのような価値観が自然と養われる環境であるような気がします。
とても興味深いですよね。
そんな幼少期を経て、思春期を迎える頃になると、フランスの親子はセックスに関してどのようなコミュニケーションをとるようになるのでしょうか?
次回は、そのあたりを詳しくみていきたいと思います。
セックスについて語れない日本の家庭環境が不倫バッシングを生む!?