「裏切りの街」という2016年公開の映画をやっと見る事ができました。
「裏切りの街」が公開された時、社会学者の宮台真司さんが批評していた文章を元にして、日記を書きました。
「裏切りの街」の概要や、宮台さんがこの映画について書いている視点などは、上記ページにまとめています。
観たい観たいと以前からずっと思いながらも、長い間観れずじまいで、ようやく見る事ができた映画でした。
裏切りの街を観た感想
観終わった率直な感想は、ありきたりで一般的な言葉なんですが、本当にめちゃくちゃ良かったです(笑)
とにかく寺島しのぶの演技が最高なんですよね。
どこにでもいそうな、地味で垢抜けない雰囲気の主婦を実に見事に演じているんです。
40歳にもなって若い独身男性と出会い系サイトで出会っているという「後ろめたさ」や、「恥じらい」「気後れ」みたいな感情が入り混じった表情を絶妙に演じきっているんですよね。
その「奥ゆかしさ」が、内に秘めた「エロさ」を際立たせるという効果を存分に発揮しているんです。
初めてセックスする時、「堅い表情」を浮かべながらも、押し寄せる快楽に抗しきれず段々と表情を歪めていくシーンなど、めちゃくちゃエロくて、異様に欲情してしまいました(笑)
セックスが終わった後、お互いに恥じらいの感情から抱き合ったり向き合う事ができず、男はテレビを観始め、女は男に背を向けてブラジャーを付け直す。
その後ろ姿にもエロスが凝縮されているんですよね。
以前の日記にも書いたことですが、とても重要な視点だと思うので、再度書いてみたいことがあります。
それは、宮台さんの次のような言葉です。
以前、テレクラ利用者の女性を取材したり、人妻をナンパした時に、よく聞く典型的なセリフがありました。
マジガチの「良き母」や「良き妻」ではなく、<なりすます>ことで辛うじて「良き母」や「良き妻」を生き得る事のできる女性は想像以上に多いという世間一般的には知られていない事実があります。
寺島しのぶが演じる主婦・トモコは、「色んな男の人と出会って肉体関係をもつ」という事ではないですね。
ただ、善良ではあるけれど退屈な旦那との生活が、終わりなくこれからも延々と続くという事に漠然とした「不満」「やるせなさ」「面白みのなさ」のような負の感情を抱いているわけです。
※後々、旦那は決して善良ではないという事が分かるわけですが。
人生があまりにも無機質で無意味だと感じてしまっているわけですね。
そのような日常が続く中、何となく出会い系サイトを使ったという事をきっかけに、日常生活が全く違ったものに変化していきます。
相手のユウイチもダラダラと無意味な生活を送っており、お互いに無機質な日常を埋め合わせるように、何となく出会い、セックスを重ねていくわけです。
そのような関係が妊娠をきっかけに劇的に変化していき、関係を解消するに至り、お互いにそれまでの日常生活へと帰還していくわけです。
傍から見ると、今までの日常生活に戻ったかのようにも思えるわけですが、そこには「決定的な違い」があるわけですね。
トモコにとって、子供が新しい生活に彩りを与えてくれるという事はあるにせよ、退屈な旦那との退屈な日常が続いていくという事は、依然と何も変わらないわけです。
ただ、ユウイチと過ごした決して長いとはいえない日々の「記憶」が、退屈な日常をこれからもずっと生きていく上での「力の源泉」になる事は間違いないでしょう。
その記憶があるからこそ、「良き母」「良き妻」に<なりすます>ことができ、退屈な日常を生き抜いていく事ができるのだと思います。
別にユウイチが男性として魅力的で、素敵で情熱的な恋愛ができたというわけでは決してなく、逆に無気力で、一緒にいても決して手放しに楽しいと思えるような相手ではなかったわけです。
裏切りの街が描く出会い系サイトを介した出会いの不思議さ
出会い系サイトを使った出会いを経験した事がある人なら、そのような感覚を理解できる人は多いのではないでしょうか。
出会い系サイトを使い、そして複数もしくは一人の男性との出会いやセックスを体験した後、退屈な日常を生きづらいとは感じることなく落ち着いた心境で暮らしている人妻は多いのではないかと思います。
別に夫婦仲が悪いとか、セックスレスだとか、特別な理由がなくとも出会い系サイトを使って不倫する人妻が後を絶たないのは、そこには日常生活にはない「何かがある」という事を無意識に察知しているからではないでしょうか。
「裏切りの街」はそんなことを感じさせ、考えさせてくれた映画でしたね。
「出会い系サイトでの出会い」という体験を、表面的なものではなく、本質を深くえぐったような視点で描き出す事に成功している稀有な映画だと感じました。
興味のある人は是非一度観ていてくださいね。
出会い系サイトに対する見方が変わるかもしれませんよ(笑)
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