ニンフォマニアック

ラース・フォン・トリアー監督の映画『ニンフォマニアック』(2013年)。

『セクシャリティ』という難しい問題に、まさに真っ向から向き合った作品です。

この映画は本当に衝撃的でした。

近年観た映画の中で、最も衝撃を受けましたね。

ニンフォマニアック

『ニンフォマニアック』というタイトル通り、ニンフォマニアック(色情狂)を自認する女ジョーの誕生から50歳までのエロスの旅をあつかう、というストーリーの作品なんです。

まさに性的にむき出しの映画で、拒否反応を示す人もいるとは思いますが、僕はこの映画から非常に深いメッセージを受け取りました。

第一部と第二部があり、それぞれ2時間程度の大作なんですね。

その長い作品の中で、見所は沢山あるんですが、僕が最も印象に残った場面を紹介してみたいと思います。


それは、ジョーが借金取りの仕事をしている時のことです。

借金回収のために、ある男の家に行ったジョー。

その家の家具を破壊したり、あらゆる脅しを繰り返しても、全く無反応で借金を全く返そうともしない男。

そこでジョーは男に向かって話を始めるのです。

ニンフォマニアックのジョー

「物を破壊されても平気なようね。頼りになる『嘘発見器』を使うわ。」

男を椅子に縛りつけてズボンを脱がせて、ペニスを剥き出しの状態にします。

その状態で、ジョーはあらゆるタイプの性的倒錯の話を男に聞かせたのです。

サドマゾの物語。フェティシズム。ホモセクシャル。などなど。

でも男に何の反応もなく、ジョーは諦めかけていたのです。

そして最後に、こんな話を始めました。

「帰り道、あなたは公園を歩いている。ふと立ち止まる。音が聞こえる。子供たちの遊ぶ声がする。ベンチに座り、遊ぶ姿を眺める。半ズボンの男の子が、砂場で遊んでいる。
あなたを見ている。青い瞳で。あなたに笑いかけ、そばへやってくる。あなたの膝に座り、顔を見上げる。『おじさんのおうちへ行きたい』と言う。家に着くと、あなたは二人で裸になりたいと願う。体に触られ、勃起する。」

 

今まで何をされても何を言われても全く無反応だった男はサッと顔色を変えて、

ニンフォマニアックの男

「もうやめてくれ」

と懇願するように叫ぶのです。

何に対しても全く反応しなかった男のペニスはジョーの話を聞いていきり立つように勃起していたのです。

自分でも、なぜ勃起しているのか分からない、というような当惑の表情も浮かべているのです。

ジョーは止めません。

「その子があなたの上に。下着を脱がす。」

男は、「金は払う」と叫び、そして泣き崩れたのです。

泣き崩れた男

泣き崩れる男を憐れみを浮かべた表情で黙って眺めているジョー。

そして何を思ったのか、ジョーは男のビンビンに勃起しているペニスをフェラし始めたのです。

優しく癒すようなフェラ。

フェラするジョー

悶絶の表情を浮かべる男。

ジョーは何故フェラしたのか?

その時の心境を回想しながら、ジョーはこのように語るのでした。

「彼の人生を破滅させたから。自分でも知らない秘密を暴いてしまったのよ。彼は恥じ入って座ってた。謝罪の気持ちでイカせたの。」

 

そしてこのように続けます。

「今まで彼は、欲望を抑え込んで生きてきた。私が暴露するまで、誘惑に屈することなく、自制的な人生を送り誰も傷つけたことがない。称賛に値するわ。」

 

小児性愛者というブタ野郎を何故称賛できるのか、との問いに対してジョーは、

「小児性愛者といっても、実際に子供に手を出す人は、5%くらいなものよ。残りの95%はファンタジーの域を出ないわ。彼らの苦しみを考えて。セクシャリティは人間にとって最も強い力よ。
それを禁じられたら、さぞや苦しいわ。自分の欲望を恥じながら、決して行動せずに生きる小児性愛者は、表彰すべきよ。」

「彼に同情したのはもう一つ理由があった。私と同じ十字架を背負っていたから。『孤独』よ。私も彼も性的疎外者。」

 



いかがでしょうか?

一般的な常識を持った多くの人にとっては、ジョーのそのような言動というのはなかなか理解できるものではないと思います。

でもジョーの言葉の数々には、人間の隠された真実が込められているように感じました。

『セクシャリティは人間にとって最も強い力』

 

まさにその通りなんでしょうね。

普段、意識することはなくても、無意識化で人は自らのセクシャリティに駆動されているのでしょう。

自分でも知らない、今まで自覚することがなかった性癖を、それも「小児性愛」という最も恥ずかしい性癖を暴かれることで、人生が破滅してしまうほどのダメージを被ってしまった男。

そしてそんな男に対して、謝罪の気持ちを抱き、称賛に値する、表彰すべき、と最大の賛辞を贈るジョー。

ジョー

自らもニンフォマニアック(色情狂)という性的疎外者であり、自らのセクシャリティの圧倒的な破壊力によって翻弄され、苦難の人生を送ってきたジョー。

性的疎外者の絶望的な「孤独」を味わい尽くしてきたからこそ、他人に迷惑をかけることなく自らのセクシャリティを押し殺し続けてきた男と心の底で深く通じ合った、ということなんですね。

この男は、無意識の自己防衛意識のようなもので、自らのセクシャリティを無意識化に押し込め続けてきたからこそ、「無感情」「無感動」のような人格になってしまったような気がしました。

人間にとってセクシャリティというのはそこまで大きく強力な力なんだと感じ入りました。

そこまで強大な力を抑え込むためには、ある意味で自ら廃人になることを選択するかのような「無感情」「無感動」になるしか方法はない。

そうしなければ生きていくことはできない

そんな風にも感じました。

人間にとって『セクシャリティ』『セックス』『性癖』とはいったい何なのか、どのような影響を及ぼすものなのか、ラース・フォン・トリアーの洞察力はすさまじいと思います。

そのような問題を、独自の視点から、ここまで深く扱った映画を僕は他には知りません。

ラース・フォン・トリアー監督『ニンフォマニアック』

ニンフォマニアック

是非ご覧になってみてください。

この映画を観て、『セクシャリティ』を深く知ることは『人間』を深く知ることと同じことなんだと感じ入りました。

言い換えれば、『人間』を深く知るためには『セクシャリティ』を深く知らなればならない。

僕はまだ、自分の『セクシャリティ』について、まだそこまで深く掘り下げるという作業を行っていないんだと思いました。

ジョーのように、誠実に自らの『セクシャリティ』を追求することなんて全くできていないです。

自らの『セクシャリティ』の深い部分をしっかりと直視してみなければならない、そんな風にも感じました。