出会い系サイトを使う主婦を描いた映画・裏切りの街

出会い系サイトを使う主婦を描いた映画、『裏切りの街』

この『裏切りの街』を批評した社会学者・宮台真司さんの文章が秀逸なんです。

その宮台さんの文章を見ていきながら、「出会い系サイト」と「主婦」の関係について、考えてみたいと思います。

「裏切りの街」出会い系サイトが重要な機能を果てしています。

映画の概要はこんな感じ。

出会い系サイトで繋がったフリーター主婦
何となく肉体関係を続ける二人。
現実から逃げ続けた果てには何があるのか。
同棲する彼女に小遣いをもらいながら怠慢な生活を続けるフリーターの菅原裕一と、穏やかな夫と専業主婦として平穏な日々を送る智子
お互いのパートナーに対して特別な不満もない毎日
ただ何となく、はっきりとした目的もないまま出会い系サイトで偶然出会った二人は意味のないあい逢瀬を重ねる。
季節が変わり、二人の関係もすっかり惰性となったある日、とある出来事をきっかけに日常が揺らぎ始める
それでも「選択」することを避け、現実から逃げて逃げて、ただただ流れに身を任せる二人は、今日も中央線沿いの街の中をぐるぐるとあてどなく彷徨う。

 

宮台さんの批評の出会い系サイトに関連する部分を抜粋するとこんな感じです。

■主人公のユウイチとトモコは、自分たちが社会的な言語プログラムに駆動されたオートマタとして<世界体験>を受け取ることの、尊厳を欠いたスーパーフラットぶりに、うんざりしている。

■但し、社会の中で抑圧された地位にあるということではない。
トモコは、素敵な持ち家に住み、妹からの高額な借金の頼みにも応じられる豊かな子無し夫婦の人妻。
ユウイチは、真面目なヒジネスウーマンに養われているヒモ。今日的にはむしろ2人とも恵まれている

■映画では、ネットに於ける匿名的な出会いによる性愛関係が、象徴界未然的な想像界への「逃避」として描かれている。
そこには『名字(固有名)がとことん欠けた中での濃密な快楽の与え合い』がある。

■以前テレビ番組のテレクラ特集の製作に関わり、テレクラ利用者の女性を取材し、その会話の中に、私がかつて人妻をナンパしていた時代によく聞いた典型的科白があった。<なりすまし>である。

「ここでいろんな男の人たちと出会って肉体関係を持つことで、私はようやく「良き母」「良き妻」であり続けられるんですよ。」
「テレクラがなければどうなってましたか?」
とっくに壊れちゃっていたんじゃないかと思います。」

■マジガチの「良き母」「良き妻」ではなく、<なりすます>ことで辛うじて「良き母」「良き妻」を生き得るということ。
映画のイニシエーションに於ける離陸面は、マジガチの「良き母」「良き妻」であり、着陸面は、<なりすまし>としての「良き母」「良き妻」である。

 
誰から見ても幸せだと思えるような平凡で穏やかな結婚生活、家族との生活に、それだけで満足できる人もいれば、理由ははっきりと分からないけどそれだけだと何か不全感を持ってしまう人もいるわけですよね。

出会い系を使う主婦

一般的な常識からすると、前者が立派な人で、後者はふしだらな人ということになるんでしょう。

宮台さんの批評は、このような一般常識の出鱈目さ、底の浅さを、深い学問的な水準から指摘し続けてるという感じです。

人間の本性純粋な感情の発露とは異なった形で形作れた社会に、マジガチに適応することのバカらしさ

 
という言葉などでも表現されています。

もちろん社会にそれなりに適応していかないと生きていけないので、それなりに適応はするわけですが、そこはマジガチに適応するのではなく、「あえて」「仮の姿で」適応するということを推奨しているわけですね。

『名字(固有名)がとことん欠けた中での濃密な快楽の与え合い』

 
という言葉、身に沁みるほどよく分かります。

僕は別に奥さんと不仲というわけではなく、そしてセックスレスというわけでもなく、色んな話もするし、PCMAXの日記でも書いているようなちょっと踏み込んだ話もするので、世間一般の夫婦からするとかなり仲が良いという部類に入るんだと思います。

でも、それでも、『名字(固有名)がとことん欠けた中でしかあり得ない濃密な快楽の与え合い』というものは、絶対的にあり得るものであり、夫婦関係がどんなに良好であっても到達し得ない領域がそこにはあるということが今ではよく分かります。

僕の奥さんも、かつて妻子ある男性と浮気していました。

そのあたりの詳細は以前の日記に書きました。

会社の同僚であったので固有名が完全に欠けた中での関係ではなかったわけですが、夫婦関係の外側にある大いなる快楽の与え合いみたいなものは感じたのだと思います。

「濃密な快楽の与え合い」とは、もちろんその中心はセックスを指し示しているわけですが、セックスが介在しない場合であっても、『名字(固有名)がとことん欠けた中での濃密な快楽の与え合い』というのはあり得るのでしょう。

お互いの心の深い部分まで到達した濃密な会話のみで、濃密な快楽を与えあうこともあるでしょう。

宮台さんが取材して話を聞いた人妻の言葉

「ここでいろんな男の人たちと出会って肉体関係を持つことで、私はようやく「良き母」や「良き妻」であり続けられるんですよ。」

 
「それがなかったらとっくに壊れちゃっていたんじゃないかと思います。」

 
出会い系を使って心のバランスを保つ主婦

という意味を、僕の奥さんは自分の浮気体験を通して深く理解することになったのでしょう。

女性がそのように感じるか感じないかは、不真面目か真面目か、淫乱か清楚か、というような軸なのではなく、敏感かそこまで敏感ではないか、という軸なんだと深く感じ入るようになりました。

もちろんそれは男性にも当てはまるでしょう。

ただ多くの女性とセックスをしたいという場合も多いと思いますが、そうではなく、『名字(固有名)がとことん欠けた中での濃密な快楽の与え合い』を無意識に求めて婚外恋愛や婚外セックスを求める男性もいると思うし、僕自身はそういう感覚です。

宮台さんはこのようにも書いています。

■初期のテレクラには援交は皆無。「匿名性(都市性)の上昇」と「記名性(地域性)の下降」の交差点で“淫靡さ“を楽しむテレクラも、「匿名性の上昇」が飽和した90年代初頭、急に援交化し、匿名男女らの「名字がとことん欠けた中での濃密な快楽の与え合い」の営みが消えた。

 
出会い系サイトもテレクラと同じように以前は援交は少なく、匿名男女らの「名字がとことん欠けた中での濃密な快楽の与え合い」の営みが今よりももっとあったのでしょう。

現在は、後者はほとんど姿を消して前者が幅を利かせている状態なんでしょうね。

でも後者がかなりの少数派になったとしても、そのような出会いを求める女性は必ず存在するはずだし、そのような女性と深く話し合ってみたいものです。

この映画の予告編を見ただけで、主婦を演じる寺島しのぶの凄さが伝わってきた。

この映画は是非見たかったけど、大阪ではもう公開は今週で終わるみたいだし無理だなぁ。
 

(追伸)
この記事を書いた2年半後、ようやくこの映画『裏切りの街』を観ることができました。

その感想を下記ページにまとめているので、もしよろしければご覧になってみてください。

『裏切りの街』を観た感想